盛岡もののけ日記

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2011年 09月 29日

逃走劇

いいお天気の日でした。

すっかり秋に移り変わる前の名残の暑さ・・・という感じでしょうか。


母の逃走劇も3年ぐらい前のこんな日でした。


そのころの母は家に帰りたい一心でいろんなことに抵抗していました。

拒食・拒薬・通院拒否・・・施設のスタッフの皆さんには散々たてつき

とっても悪い子・・・・・じゃなく悪いばーさんw

私が面会に行くと

「此処では生米を食べさせる・腐ったおやつを出す」とか

「薬で殺されてしまう」とか「モノを取られた」とか

幻想なのか作戦なのか・・・ありもしない事を罵詈雑言。騒ぎ放題。


「誰も家に連れて行ってくれないのなら、車いすを漕いで一人で家に帰るっ!!」

施設を出てひたすら実家に帰りたい様子だった。



気分転換にと母を岩手公園なんかに連れていくと

「あれは岩手○報社か? あそこに連れて行け。施設での自分の待遇を新聞社にうったえるっ!」


そう・・・岩手公園からはすぐそばの新聞社の看板が大きくみえるのだった。

ーあれは看板だけで新聞社はもっと遠くに建ってるんだよ・・・苦しい嘘をつくワタシ。


警察署の屋上にヘリが着陸しようとしているのを

「ほら母さん、ヘリコプターが・・・」と言いかけて其処が警察署と知れるのを恐れて口をつぐんだ。

母は「訴えるから警察に行くっ!」とも言っていたのだった。



そのころの母はとても意地悪な顔で独特のエネルギーを放っていたと思う。

あんなに嘘つきが嫌いだった母が虚言(妄想なんだろうか?)で周りを傷つけ

我慢ばかりしていたはずの母が我儘に自己主張をしていた。。




そんなある日、面会に行くと

母はエレベーターに向かって必死で車椅子を走らせていた。

施設の主任さんがワタシに目配せして「外に行きましょう」と。


母はエレベーターを降りると事務所のカウンターの前を通りすぎ

猛スピード(本人はそのつもり)で玄関までたどり着いた。

車いすを漕ぐ母の必死の様子は今でも目に焼き付いている。



「そんなに車いすで帰りたいなら通りの道まで送るね」と

主任さんとワタシで通りまで母の車いすを押した。


車がびゅんびゅん行き過ぎる道の歩道を母はひとりで車いすを漕ぎ始めた。

道路の歩道はかなり凸凹で歩いているときはそれほど感じないが

車いすで進むとなると障害物だらけなのだ。


「あっちが実家の方向か?」

実家までは何十キロもある。

母は遠くを無据えるような眼をして 更に漕ぎ始める。

車いすは凸凹にタイヤをとられて10㎝単位だろうか・・少しずつしか進まない。

それでも母は必死に漕ぐ。

草臥れて少し手を休めるがそれでも再び漕ぐ。

危なくないよう主任さんとワタシとで見守る。


夏の名残の日差しは強く、久々に日傘無しで歩くワタシの肌はすぐ赤くなった。


何度も休んでは漕いで、休んでは漕いでそれでもさっぱり進まない・・・

母はため息を深くつくと漕ぐのを止めて、突然大声で唄いだした。

母は悲しいときに唄う癖がある。

大声でとても大声で・・・目の前の民家の人は吃驚しているのではないかーと思いながら

ワタシは声を張る母の姿をただ見ていた。

そして、大人しくなった母を主任さんと施設に連れて戻った。


主任さんは、自分だけの力では家に帰れないし住めないということを

実地で母に分からせたかったらしい。

主任さんの判断に感心し、感謝しながらやはりプロってすごいなあ。。。とも思った。

なだめてるだけじゃダメなんだなあ。。。。



職員の方が優しく昼食を母に勧めてくれたが母は俯いたまま。

まだ意地を張って拒食なのかな・・・と顔を見ると

母は真っ赤な顔で小刻みに震え、胸を苦しそうに押さえていた。

まさか、心臓が!と焦ると

母はこらえきれず嗚咽を漏らし始めた。

そして、幼い子供のように泣き始めた。


あんな風に泣く母を見たのは初めてだった。



その日は、家に戻って日光疹の薬を塗りながら

今夜、母は眠れたろうか・・・と考えた。



今日はそんなことを思い出した。
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by nanbuneko | 2011-09-29 23:45 | 介護生活 | Comments(4)
Commented by tomokeda at 2011-10-03 09:54
おはようございます。
状況は、違えど・・・同じ状態の父と重ね合わせて読みました。
人が変わったように、自己主張と暴言の数々・・・。
我が家は、8月が最悪でした。(まだ時々、変な事を言いますが・・)
老いるって、壮絶ですよね。
Commented by nanbuneko at 2011-10-03 18:58
■tomokedaさん
そうなんです。
そんな性格じゃなかったでしょ~!って言いたくなるような言動をしたりして、家族としては戸惑うし困るし。。。。
今は当時よりかなり落ち着いている母ですが
今思うと、その時の母はなにかと戦っていたのかもしれないなーって・・
まあ、本人も大変なんでしょうが周りも大変ですよねw
Commented by ckmusic at 2011-10-04 14:38
うちの実父と実母も
ワタシの弟の家に
何日かおきに泊まりに行っています。
いずれはそちらに住まいを移す予定で
慣らし保育みたいなもんですかね・・・。
父は母の介護に疲れてノイローゼ気味になるし
ふぅぅ
頑張りましょうね
時々愚痴りつつガスを抜きつつ。
Commented by nanbuneko at 2011-10-05 19:03
ckmusicさん
お父様も大変ですね。
家ははじめ父のほうが介護が必要な感じで母が頑張っていたのですが
脳溢血で突然母が倒れ
介護が必要な筈の父が母の介護ををするという、困った図式が・・・

そうですね。ガス抜きは大事ですね~。
がんばりましょう。


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