盛岡もののけ日記

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カテゴリ:介護生活( 90 )


2011年 11月 27日

季節

母に会いに行く。

落ち着いているけれど実家に帰って暮らす気満々な様子・・・・。


どこそこでは雪が積もったとか雪かきの大変さとか

冬の暮らしの大変さを思い出すよう話を仕向けるが

耳を貸さない。

まあ・・それも年中行事のようなものではあるけれど。


「わたしにとって夜は、家に帰ったらどう暮らすか考える時間なんだ」

母がぼそっと言った。


実は母は無理なことも知っていてそれでも夢をみたいのかもしれない・・

そんな気がした。




帰り道見かけた実。

これってなんの実だっけ?

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 ♪ 季節は色を変えて~幾度巡ろ~とも~

この気持ちは枯れない~・・・・



というメロディが浮かぶ帰り道。

家というのは帰りたいものなのだろう。
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by nanbuneko | 2011-11-27 16:50 | 介護生活 | Comments(4)
2011年 09月 29日

逃走劇

いいお天気の日でした。

すっかり秋に移り変わる前の名残の暑さ・・・という感じでしょうか。


母の逃走劇も3年ぐらい前のこんな日でした。


そのころの母は家に帰りたい一心でいろんなことに抵抗していました。

拒食・拒薬・通院拒否・・・施設のスタッフの皆さんには散々たてつき

とっても悪い子・・・・・じゃなく悪いばーさんw

私が面会に行くと

「此処では生米を食べさせる・腐ったおやつを出す」とか

「薬で殺されてしまう」とか「モノを取られた」とか

幻想なのか作戦なのか・・・ありもしない事を罵詈雑言。騒ぎ放題。


「誰も家に連れて行ってくれないのなら、車いすを漕いで一人で家に帰るっ!!」

施設を出てひたすら実家に帰りたい様子だった。



気分転換にと母を岩手公園なんかに連れていくと

「あれは岩手○報社か? あそこに連れて行け。施設での自分の待遇を新聞社にうったえるっ!」


そう・・・岩手公園からはすぐそばの新聞社の看板が大きくみえるのだった。

ーあれは看板だけで新聞社はもっと遠くに建ってるんだよ・・・苦しい嘘をつくワタシ。


警察署の屋上にヘリが着陸しようとしているのを

「ほら母さん、ヘリコプターが・・・」と言いかけて其処が警察署と知れるのを恐れて口をつぐんだ。

母は「訴えるから警察に行くっ!」とも言っていたのだった。



そのころの母はとても意地悪な顔で独特のエネルギーを放っていたと思う。

あんなに嘘つきが嫌いだった母が虚言(妄想なんだろうか?)で周りを傷つけ

我慢ばかりしていたはずの母が我儘に自己主張をしていた。。




そんなある日、面会に行くと

母はエレベーターに向かって必死で車椅子を走らせていた。

施設の主任さんがワタシに目配せして「外に行きましょう」と。


母はエレベーターを降りると事務所のカウンターの前を通りすぎ

猛スピード(本人はそのつもり)で玄関までたどり着いた。

車いすを漕ぐ母の必死の様子は今でも目に焼き付いている。



「そんなに車いすで帰りたいなら通りの道まで送るね」と

主任さんとワタシで通りまで母の車いすを押した。


車がびゅんびゅん行き過ぎる道の歩道を母はひとりで車いすを漕ぎ始めた。

道路の歩道はかなり凸凹で歩いているときはそれほど感じないが

車いすで進むとなると障害物だらけなのだ。


「あっちが実家の方向か?」

実家までは何十キロもある。

母は遠くを無据えるような眼をして 更に漕ぎ始める。

車いすは凸凹にタイヤをとられて10㎝単位だろうか・・少しずつしか進まない。

それでも母は必死に漕ぐ。

草臥れて少し手を休めるがそれでも再び漕ぐ。

危なくないよう主任さんとワタシとで見守る。


夏の名残の日差しは強く、久々に日傘無しで歩くワタシの肌はすぐ赤くなった。


何度も休んでは漕いで、休んでは漕いでそれでもさっぱり進まない・・・

母はため息を深くつくと漕ぐのを止めて、突然大声で唄いだした。

母は悲しいときに唄う癖がある。

大声でとても大声で・・・目の前の民家の人は吃驚しているのではないかーと思いながら

ワタシは声を張る母の姿をただ見ていた。

そして、大人しくなった母を主任さんと施設に連れて戻った。


主任さんは、自分だけの力では家に帰れないし住めないということを

実地で母に分からせたかったらしい。

主任さんの判断に感心し、感謝しながらやはりプロってすごいなあ。。。とも思った。

なだめてるだけじゃダメなんだなあ。。。。



職員の方が優しく昼食を母に勧めてくれたが母は俯いたまま。

まだ意地を張って拒食なのかな・・・と顔を見ると

母は真っ赤な顔で小刻みに震え、胸を苦しそうに押さえていた。

まさか、心臓が!と焦ると

母はこらえきれず嗚咽を漏らし始めた。

そして、幼い子供のように泣き始めた。


あんな風に泣く母を見たのは初めてだった。



その日は、家に戻って日光疹の薬を塗りながら

今夜、母は眠れたろうか・・・と考えた。



今日はそんなことを思い出した。
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by nanbuneko | 2011-09-29 23:45 | 介護生活 | Comments(4)
2011年 04月 10日

スキンシップ

母に会いに行く。
結構元気だった。

途中から「家に帰る」と言い出したので
「マッサージしてあげるね」と言って肩や脚をマッサージ。
私にしてあげられるのはせいぜいコレくらいなのだ。

そして、心地いい気分だとヒトは嫌な話はしないものだ。
姑息だが話がやばい方向になってきたら
いつもこうして流れをかえてみる(笑)。

自己流だけど顔もリンパマッサージをしてみた。
母の顔の皮膚は吃驚するほど柔らかくてつるつるしていた。

16年もの介護生活で屋内にいることが殆どの母の肌は
若い頃より白く柔らかい。

マッサージしてあげた後は上機嫌で見送ってくれるのでこちらも嬉しくなる。
血流がよくなって気持ちも良いのだろうが
スキンシップでココロが和らぐのかもしれない。




                              帰り道見つけた花。

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                              たぶん アヅマイチゲ?




明日は雨らしい・・・・・・
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by nanbuneko | 2011-04-10 19:51 | 介護生活 | Comments(2)
2010年 07月 11日

記憶

母に会いに行く。

近頃、とても落ち着いている。



昔話などしてみる。

ワタシが小学生の頃、母の実家の台所のテーブルは

長方形の天板で引出しが付いていて
(無印○品で売られているオーク材のテーブルと似ているが大工仕事感が強い)

それに木製の丸椅子の組み合わせが ワタシはとても好きで

行くと密かにそのテーブルの引き出しを開けてみたりしていた。

そんな話をテーブル・丸椅子の図解つきで話しても

「そんなハイカラなテーブルはなかった。

(自分が子供の頃は)座卓で座って食べた。父だけはお膳で食べていた」 と譲らない。

母ではなく私が子供の頃だよーと言っても

そんなテーブルは知らないと言い張り、記憶にない事も認めない。


「おじいさん、そのテーブルでご飯にきな粉をかけて食べていたのを覚えている。」

とワタシがいうと

「うん。 父はきな粉をかけてお膳でご飯を食べていた」と母。

、きな粉だけは一致。



母が脳出血の手術の前、血液を被った状態の脳の写真を見せられ

血液を被った細胞はもう機能しないと医師から言われた事を思い出す。

とんでいる母の記憶がその後遺症によるものものなのか

単によくある「忘れている」ーなのかは分からないけれど

記憶にないことを絶対認めないのは負けず嫌いの母の性格のせいだろう。



最近、何故か

そんな風に母の実家のテーブルを懐かしく思い出したり

通った小学校の校門が浮かんできて見に行きたいと思ったり

認めたくはないけれど「トシ」のせいかもしれない。




因みに ご飯にきな粉のトッピングは祖父が美味しそうに食べるので

試してみたことがあるが

ワタシ的にはNGだった。。。。。
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by nanbuneko | 2010-07-11 23:59 | 介護生活 | Comments(0)
2010年 03月 28日

この時期にしては寒すぎる朝でした。

盛岡の最低気温 マイナス8℃ ぐらい・・。

でも日中は春っぽい日差しで穏やかな天候でした。



川べりを散策。

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ふきのとう
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意外なことに花も咲いてもう茶色になっているのも多かったのですが可愛いのをup。



よく見ると つくしも出ていました。
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そして定番のたんぽぽ
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そして水と光。
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草や木、水や光 ほんの数十メートル歩いただけで癒してくれるんだから凄いです。



今日は母に会いにいきました。

帰りしなに

「春に気をつけろ」 と 一言。

うーっむ・・・こちらもある意味凄いかも。
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by nanbuneko | 2010-03-28 16:53 | 介護生活 | Comments(0)
2009年 06月 19日

田植えの思い出

f0031978_0295473.jpg昨日は母の所に行った。
相変わらずの「帰りたい病」

施設の方と
病、緩和の為の相談など。


帰り道の田んぼ。


母の実家は農家だったので
幼い頃は
田植えの時は手伝いに行く母に
連れられて行ったものだった。

忙しいので
昼やこびるまで放置される訳だけれど・・





皆が田んぼに出かけている間
嫁である叔母が忙しく
昼食やこびるの団子などを作っている後姿をみていると

「この家の中でこのヒトだけ違う・・・」

嫁の立場など解らなくても
幼な心にも嫁の孤独のようなモノはひしひしと伝わってきた。



放置されていた為に自由に田んぼ廻りや川のそばで遊んでいたが
今にして思うと危険はいっぱいで

蛇と遭遇したり
小さい溜池のような所に
アカハラが沢山いたのをみて気持ち悪くなったり

川には1mかそこらの滝があって
ワタシは好んでその場所に行ったけれど
幼児が事故に遭うには充分すぎた訳で

長閑な田園風景の中でもサバイバルな要素は沢山だった気がする。


それでも、幼いワタシを喜ばせる為に
昼時になると
祖父が柳の木を折って先を削ってワタシ専用の箸を作ってくれたり
母が蕗の葉っぱにお赤飯のお握りをのせて出してくれたりと

田んぼの傍で食べる昼食は美味しかったー と記憶している。


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昨日、見かけた桐。 
岩手県の県花。

母の世代だと娘が生まれると桐の木を植えて
嫁に出す時、箪笥に作ったらしい。
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by nanbuneko | 2009-06-19 23:52 | 介護生活 | Comments(4)
2009年 05月 17日

雨の日

雨降り。
母のところへ行く。

相変わらずの「帰りたい」病・・・というよりは
「帰るから!」(断定)病、悪化。

親不孝者と言われそうだが
面会時間はある意味苦行ではある・・・・。

母の言葉を聞いている間のワタシの心はこんな感じかも(笑)
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やっぱり花は癒されるなあ。
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中津川の河べりに立つと
いつもは聞えないような鳥の声が響いていた。



母も毎日、外に出て花を見ていられるようだったら
気持ちも違ってくるのかもしれないけど・・・・・。
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凄く精神的に脆いワタシが
辛うじて心のバランスを保てているのも
川や花や木やそこに棲んでいるものから
いつもエネルギーを貰っているおかげかなあ。
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by nanbuneko | 2009-05-17 13:56 | 介護生活 | Comments(0)
2009年 05月 02日

月見サイダー?

暑い日だった。
盛岡でも23度を越えた。

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自販機の前で足を止めて
思わず買ってしまった。
これはウルトラマンのデザイン。
全部で6タイプ、シリーズであるそうだ。













母に会いに行った。
家に帰りたい病、悪化の一途。
天候が良いと里心激増強。

「もう長くなんかないんだから自分の好きなように生きてみたい、家に帰りたい。」

それは、多分倒れてからの事だけじゃなくなんだろうけど
気持ちは解っても、出来ない事は出来ないのだ。

「○○子(私)が連れて来たんだから、責任もって連れて帰れ
連れて帰らないなら自殺する」
とまで言われ

普段、母の前では感情的にはならないワタシも思わず涙目。



あー、今夜は月でも眺めながらサイダーを啜り
自分の心の子守りでも・・・・・。

地球から暫し逃避したい・・・シュワッチっ!



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by nanbuneko | 2009-05-02 19:47 | 介護生活 | Comments(0)
2009年 02月 28日

ニリンソウ

母に会いに行く。
先日からの『3月になったら家に帰る』病、重し。

はあ。

またすったもんだが待っているのかなあ。

母のところからの帰り道、福寿草を見つけた。
先日のふきのとうもそうだけれど
いつも通っている垣根とか目立たないようなところに
ひっそりと春は顔を覗かせていたりする。


子供の頃、
ニリンソウが早めに咲く場所があって
まだ雪が残っているうちから
家から少し遠いその場所に何度か足を運んだ。

ニリンソウが咲いているのを見つけた時はとても嬉しかった。

盛岡では何処に行けば見られるんだろう?
見たい・・・ニリンソウ。
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by nanbuneko | 2009-02-28 23:55 | 介護生活 | Comments(0)
2009年 02月 01日

母に会いにいった。
私の体調不良のせいで2週間ぶり。
何故来なかったか?と若干責めを感じる口調。

例によって「3月になったら家に帰る」と言い出した。
慣れてはいてもこの言葉を言われるのは辛い。

「連れてきた人間が責任をもって連れて帰れ」 ←私のこと

「どうせ死ぬなら家に帰って死にたい、此処は厭きた」と母。

家で一人では暮らせない事を説明しても無駄なことは
これまでのスッタモンダで解っているから、言葉を失った。
ただ、黙って母の顔を見ていた。

自分もいつか老いる。
健康でいられる自信は全く無い。

私はどんな老いを息子に見せるのだろうか・・・。
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by nanbuneko | 2009-02-01 23:58 | 介護生活 | Comments(2)